IBM元会長フランク・ケアリーが
1980年6月
どんな方法を使ってもいいから
アップルに負けない製品を
1年以内に開発せよと厳命した

IBMは僅か1年間で
PCを開発し販売することに成功した

しかし
マイクロプロセッサーはインテル
ディスケットドライブ
カラーグラフィックスコントローラーなどは
他社製品であり
自社開発部分は10%に過ぎなかった

その中でもOS
キーボード、マウス、ディスケットモニターを
管理するものが極めて重要なものであった

IBMはOSをマイクロソフトが保有していると思い
OS調達担当のジャック・サムズを訪問させた
アップルより良い製品を作れるかについて
機密保持契約を結ばせたうえで議論した
しかしマイクロソフトはこの時点で
OSを保有しておらずCP/Mを利用していた
このCP/Mを開発販売していたのは
デジタルリサーチのゲイリー・キルドールだった
サムズはキルドールに対して
CP/Mのライセンスについて話をしに行ったが
自家用ジェットで留守であることと
共同経営者の妻との話を先にするように
伝えられたが訪問した
しかし妻は機密保持契約を結ばず
話ができなかった

その後面会をすることになったが
30日以内にIBMPC用のOSが必要だったため
CP/Mの権利を買収しようとしたが拒否された
キルドールは特許料が欲しかったので
買収を拒否したのだった

IBMは再度マイクロソフトを訪問し解決策を相談した
当時マイクロソフトは全てこのCP/M上で動いていた
何としても自社開発のOSが必要だった
同じシアトル近郊に偶然CP/Mを応用した発想で
制作した86DOSの開発者であるティム・パターソンを発見し
1980年9月のある晩、IBMの仕事を引き受けるかを
経営陣で話し合ったとビルゲイツは語っている
特にそこで強いプッシュをしたのが副社長の西和彦だった

ポール・アレンがティム・パターソンと交渉し
86DOSを自由にコピーして販売できる権利を
5万ドルで買収した
その顧客がIBMで
数百万ドル、数千万ドルの価値があったと
後にパターソンは知ることになる

買収したOSをIBMPC用に変換する仕事は
マイクロソフトの技術者が行った
3ヶ月間でそれを実現させることができた
このシステムはMS・DOSと名づけられた

IBMPCは爆発的に売れ
同時にMS・DOSは最も普及したOSになった
キルドールはマイクロソフトに
CP/Mの市場を奪われた

しかし
IBMPCはその後苦戦を仕入れられることになる
クローンPCの参入であった
部品の調達がほとんど外部調達であったからだ
半導体はマレーシア、台湾、シンガポール、エルサルバドル製
マイクロプロセッサーはインテル
OSはマイクロソフトに握られた
自社開発を試みたが市場で受け入れられなかった
ハードウェアではなく、ソフトウェアの時代の到来であった

マイクロソフトといえばWindows95が有名であるが
ゼロックス社パロアルト研究所内の
アラン・ケイが開発したAltoが元である

ゼロックス経営陣はAltoを商品化しようとしなかった
アップルの人間が訪問しAltoの権利を買収しようとしたが
拒否した後も商品化しようとしなかった
アップルは開発陣を引き抜き
マイクロソフトも同様のことをして
Windowsバージョン1、2、3の失敗を経て95に至る

ちなみにAltoは1973年に試作機を完成させている
アラン・ケイにジョブズが接触したのは1980年以後であり
アップルのLisaは1983年に完成
マッキントシュは1984年に完成

つまり1980-1983年の間に
IBM、アップル、マイクロソフトの
大よその運命は定まったということが

史実より理解できる 

これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。