単なるゲーム機である
ゲーム機本体の製造原価は400$
1日で稼ぐ金額は100$
4日で原価回収ができた
1日5台生産では間に合わず
生産は1日100台になった
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1961年にユタ州立大学に入学。その後、ユタ州立大学からユタ大学工学部に転入したブッシュネルは、「スペースウォー!」の魅力を知った。ブッシュネルの専攻は電気工学だったが、後からプログラムの授業を履修する等して、「スペースウォー!」に近づく事に成功した。この他にブッシュネル自身でも簡単な追っかけゲーム「キツネとガチョウ」を作っている。
1968年にユタ大学を卒業し、卒業後はアミューズメントの仕事に就こうと、ディズニー関係の会社に就職するがうまく行かず、世界初のテープレコーダー会社であるアンペックス社に転職、デジタルレコーダーシステムの業務に関わったが、このアムペックス社には、後にアタリで共に仕事をする仲間が多数在籍していた。この時、既に先妻ポーラと結婚、娘を2人授かっているが、娘達は後述の「コンピュータースペース」の時に、とばっちりを受ける事になる。
1970年に電子部品の値段が安くなったのを見るや、スペースウォーのアーケードゲーム版「コンピュータースペース」を製作・発売したが、操作が難しく、人気が出なかった。
これで諦めなかったブッシュネルは、1972年、アタリを創業する。ゲーム史上初のヒット作「ポン」を発売、一気にコンピューターゲームを世に浸透させ、続いて「ホーム・ポン」(1974年)、「ブレイクアウト」(ブロックくずし、1976年)等の大ヒットゲームを生み出し、わずか数年で大企業に成長させた。
その後は家庭用ゲーム機「Atari 2600」等を開発しようとしたが、資金難に陥る。そこで1976年にアタリの全株をワーナー・コミュニケーションズに2800万ドルで売却、これまでにも「ポン」「ブレイクアウト」で儲けていたのが、この売却でさらに1300万ドルを得、億万長者となった。だがワーナーとはその後、経営方針の違いで大きく衝突、1978年に解任、アタリから退いた。
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